「発達show街」の「よつば」です。
蚊取り線香じゃなくて、ぶたなんだな。
筆者であるよつばのことが気になった方は、プロフィールなどをご覧ください!
この記事の目次
ASDとは?
ASDとは、アスペルガー症候群などを含む自閉症スペクトラムのことを指します。
Autism Spectrum Disorderの頭文字を取って、ASDと言います。
- A utism(自閉症)
- S pectrum(連続体)
- D isorder(病・障害)
自閉症は連続体で、症状に個人差が大きく、明確な線引きが難しいため、ASDにまとめられています。
連続体というとわかりにくいかもしれませんが、色でいうところのグラデーションのようなイメージで捉えるとわかりやすいのではないでしょうか。
知名度が高いと思われる「自閉症」や「アスペルガー症候群」「サヴァン症候群」などもこの中に含まれています。
以前は「広汎性発達障害」「アスペルガー症候群」「自閉症」などと選り分けて診断されていたこともありますが、2013年から「ASD」として診断するように統一されました。割と最近の話ですね。
アスペルガー症候群=ASDなのか
アスペルガー症候群はテレビで取り上げられたりすることもあり、ASDという言葉よりも世間に浸透しています。
ネット掲示板などでも、文章の理解が乏しい人などに「お前アスペか?」と半ばネットスラングのように扱われていることもあって、名称の知名度だけが一人歩きしています。
(※ネットスラングでの使い方については賛否両論あるかと思いますが、ネットスラングはネットスラングとして独立した存在であり、これを使用している人たちも、おそらくASDの人を差別する意識はないと思います。よつばは使いませんが、見かけたとしても気にしません。)
その知名度の高さゆえ、「アスペルガー」というキーワードでこの記事にたどり着いた方もいるかと思うのでここで補足させてもらいます。
アスペルガー症候群はASDに包括されていますから、基本的にASDと書いているときにはアスペルガー症候群のことも含んでいるということになります。
とはいえ「アスペルガー症候群=ASD」というのは間違いで、ちょっとおかしなことになってしまいますね。
イコールで結んでしまうと、ASDもアスペルガー症候群と同じ意味になってしまって、もはや自閉症スペクトラムではなくなってしまうからです。
まとめると、
- アスペルガー症候群とASDは同じではないけれど、アスペルガー症候群はASDです。
- ASDはアスペルガー症候群ではなく、アスペルガー症候群を含む自閉症スペクトラムです。
ということになります。
はい、完全にややこしくなっただけですね。
本当にすみませんでした。
ASDは発達障害
ASDは発達障害という障害に分類されます。
発達障害には他にも、ADHD(注意欠陥・多動性障害)やLD(学習障害)などがあります。
発達障害については別の記事でまとめたものがありますので、興味のある方は、よろしければご覧ください。
ASDの症状
まず、診断の基準にもなっている2つの症状があります。
それは「社会的コミュニケーションの障害」と「限定された興味・こだわり」という症状です。
コミュニケーションの障害と言っても様々ですが、例えば、
- 会話がかみあわない。
- 皮肉が通じない。
というようなことも症状の1つになります。
限定された興味やこだわりについては、
- 自分の好きな分野だけは知識が異様に豊富。
- 動作や手順に強いこだわりがある。
- 想定外のことが起こるとパニックを起こす。
というような症状があげられます。
ちなみにこのような症状の情報は、ネットで検索すればいくらでもでてきます。
この記事でも書きたいところなのですが、症状をなるべく書き出そうとしたら、あまりに膨大な文字数に誰も読んでくれなくなると思うのでそこは割愛します。
というわけで、ASD当事者のよつばが、最も重要視している症状についてピンポイントで書いていきたいと思います!
しかもこれは、全てのASDの人に共通していると思われる症状です!!
いつも壮大なこというから不安しかないんだな。
ASDは感情の把握が極めて困難な障害
これです。
みなさん、これですよ!
これは当事者ですら自覚がないと思います。
よつばがそうだったので……。
感情の把握とは?
「疲れた」「困った」「悲しい」「嬉しい」というような様々な感情を理解することです。
人は、疲れたときは疲れた、困ったときは困った、嬉しいときには嬉しいというような、自分の心の声をしっかりと聞くことができていて、感情を把握しています。
しかし、ASDの人は、みなさんが当たり前におこなっているその「感情の把握」が極端に苦手な障害なんです。
これを聞いて「そうなんだよねー!」と共感できる人は、ある意味ASDから遠ざかっているのかもしれません。
なので、ほとんど共感した人はいないと思います。
でもそれは自覚がないだけなんです。
自覚って怖いですよ。本当に。
よつばも自分に発達障害があると知る前に、「アスペルガー診断」というものをやったことはありましたが、「全く当てはまらないから絶対アスペルガーではないな!」と思ったことがあります。
まさかASDとADHDを両方診断されるとは、誰が想像したことでしょう。
「自分が違うと思った」というだけでは、なんの信頼性もないのです。
みなさんも気をつけてください。
感情の把握が難しいとはどういうことか
本当にそのままの意味です。
もし本当にそうなら、当事者も周りの人もすぐに気がつくだろうと思うかもしれませんが、それが意外にも気がつきません。
ASD症状の落とし穴
例をあげさせてもらいますが、よつばの友人には色弱(特定の色が違う色に見える・もしくは色の区別が曖昧)の人がいます。
彼と一緒に焼き肉に行ったときの話なのですが、彼は頻繁に「これ焼けてる?」と聞いてくるんです。
よつばは、「こんなに神経質な人だったかな」「肉にあたって嫌な思い出があるのかな」くらいにしか思っておらず、普通に返事をしていました。
彼が色弱であることは知っていたものの、日常生活で意識させられることはほとんどないので、そのときは忘れていたんですね。
しかし、数年後になって、ふらっと見たネット掲示板で色弱の人が書き込みをしており、「焼き肉は焼き加減がわからないから困る」と書いていました。
それを見たとき、よつばは数年前の友人とのやり取りを思い出して、「はっ!」としましたよ。
なにが言いたいかというと、人はなにか大きな欠点があっても、それに対する処世術を自然と身に付けているんだということです。
これはASDの人にも言えることで、ASDの人は生まれながらにしてASDなんです。
感情の把握が難しいのが当たり前、むしろそれしか知らないので、難しいとも自覚できません。
相手の気持ちをある程度汲み取って会話するのは当たり前のようにみんながやっていますから、ASDの人も無意識のうちにそれと同じようにしようとします。
でもみんなと同じ方法を取ることができないので(もちろんこれも自覚はできませんが)、ちょっと回りくどい手段で感情を知るしかないのです。
具体的にいうと、自分が過去に経験したことのパターン、相手の表情や声色、言葉の絶対的な意味などから感情を分析していることが多いと思われます。
すると、意外にも会話がスムーズに成立したり、むしろ気遣いのある対応ができたりしてしまうため、まるで感情のやり取りに齟齬がないかのように見えたりしてしまうのです。
しかし残念ながら、これが当事者や周囲の人に対する大きな罠でもあります。
結局のところ、できないことはできないまま
前項の例でいくと、経験を経て周りと同じようなコミュニケーションが取れるところまで成長した、かのように見えます。
しかしあくまでもこれは処世術であって、ASDを根本から改善したわけではありません。
よつばの友人が、焼き肉の焼き加減を自分の判断で決めないというのは素晴らしい処世術だと思いますが、彼の見えない色が見えるようになるわけではないですよね?
結局のところ、できないことはできないまま、ですから、ASDの人にとってもそれが大きな躓きになります。
ASDの人が感情を読み取ろうとするとき、自分の感情を参考にすることがほとんどできないために、膨大な情報が必要になります。
ASDの人は無意識のうちにその膨大な情報を処理して、なんとかコミュニケーションを取っているわけです。
しかしこれが、「空気を読んでくれ」「あとは適当で」というような、外からの情報が少なく、自分で考えるしかないような曖昧なことを言われると、途端にフリーズしてしまいます。
また、「オチのない話」に滅法弱く、「で?」「それで?」という返事をしてしまいがちな一面があります。
なぜそのような返しになってしまうのかと言うと、ASDの人にとって「言葉のもつ意味」は、コミュニケーションにおいてとても重大なヒントになるからです。
文脈だけで相手の言いたいことを察することができたりしますので、どうしても逃せない情報だと思ってしまっています。
このような感覚で言葉を捉えていると、「意味のない話をする意味はないから、話に意味がないわけがない」という謎の極論に辿り着きます。
そんな考えをもつ人が、オチのない話やよくわからない話を聞くと「まだ続きがあるはずだ」「読み取れていない隠された意味があるのだろうか?」と勘違いして、先を急いでしまいます。
そこで出てくるのが「で?」「それで?」という言葉です。
「もっと別の言い方もあるだろう」と思った方、それにも理由があります。
ASDの人にとっては「なぜ続きを話してくれないんだ」「こちらが催促しなければ話さないのか」というような想いもあるので、ついトゲのある言い方になってしまいがちなんです……。本当に申し訳ありません。
さて、以上のような偏ったコミュニケーションを取っているのが、ASDの人なのです。主によつばですが。
なので、まさかまさか、ただ話に共感してほしかっただけなどという相手のミラクルな発想にはこれっぽっちも気がつくはずがないので、いつだって「空気が読めない」というレッテルを貼られてしまうんですね。
他人の気持ちが理解できない?
感情の把握が難しいこととつながってくるのですが、ASDはしばしば「他人の気持ちが理解できない」とも言われています。
よつばは個人的に思うところがあります。
それって、当たり前なのでは?
テレパシーでも使うんですか?
よつばは定型発達の人(発達障害ではない人)ではないのでわかりませんが、真の意味で他人の気持ちを理解しているとするなら、それは超常現象かなにかです。
さすがにそんなはずないと思うので、言い換えて、相手の立場になって気持ちを想像するってことですよね。想像ですよね。
ここに圧倒的な壁を感じますが、要するに、自分の気持ち(感情)をベースに、それを相手にトレースして、相手は今このような気持ちになっているんだと推測しているんですよね?
なので、自分の感情把握が曖昧なASDの人にとっては、この、自分の気持ちをベースに相手の気持ちを推測するということが難しい……というかほとんどできないわけです。
なので、「他人の気持ちが理解できない」以前に、「自分の気持ちすら理解していない」ので、できなくて当然くらいの感覚です。
他人の気持ちが理解できないと言われることは、確かにその通りなのですが、まずもっと手前から、「自分の気持ちもよくわかっていない」ということがそれほど語られていないことにもどかしさを覚えます。
当事者から見たASD、まとめ
ASDの人は感情を直感的に理解できないので、理屈や計算で理解しようとしてしまいがちです。
個人差はありますが、賢い人ともなると、定型発達の人との違いがわからないような振る舞いをみせることさえあります。
しかしながら、定型発達の人とは考え方が根本から違ってしまっているために、「あの人ちょっと変わってるよね」などと言われがちな部分は否定できません。
また、曖昧なニュアンスを感じ取ることが苦手なために、「ちょっと待って」などと言われたときに「ちょっととは何分ですか」と、言ってしまうか、言わないまでも心では思っていることが多かったりします。
感情把握が苦手ということ【補足】
感情把握が苦手であるということについては、少し補足をしておきます。
大きな感情である二次感情については、ASDの人でもほぼほぼ把握できていると思います。
把握できている感情があるおかげで「自分は感情をちゃんと把握している」と誤解する原因になるので注意してください。
「泣く」「怒る」などが二次感情に当たります。
問題は、一次感情をちゃんと把握できているか、という点です。
人は泣いたり怒ったりする前に、必ずなにかしらの感情を抱きます。
それが「悲しい」なのか「困った」なのか「苦しい」なのかは、時と場合によると思いますが、そのような感情です。
「なぜ泣いたか説明できますか?」
「なぜ怒ったか説明できますか?」
よつばはこの問いかけを受けて、かつて自分が激昂するほど怒ったときのことを思い出しましたが、なぜ怒ったのかが、わかりませんでした。
また、思い返してみると「困った」と思ったことが人生にほとんど……もしかしたら一度もないかもしれないことにも気がつきました。
もちろん誰かに悩みを相談したりしたこともありません。
そもそも思い詰めるほど悩むことがありませんでした。
このような感情把握の乏しさが、ASDの人のちぐはぐさを生み出しているのだと思います。
よつばは生まれてから25年間くらい、このことに気づかずに生活していました。
自分から気づこうとしなければ、下手を打てば一生、気がつかないことです。
人生の価値観やプライドを粉々にする可能性がありますが、ASDの症状に悩んでいて、本気で向き合おうと思っている人はぜひ一度自分の胸に手を当ててみてください。
それでは、当事者から見たASDとは?を終わりたいと思います。
さいごまで読んでいただき、ありがとうございました!