「よつば」です。
タイトルが挑戦的すぎるかなとはちょっと思いながらですが、でも本気でそう思っています。
冗談はさておき、「うつ病は甘え」とか言っている人は本当の地獄を知らないだけなんですよ。
なぜならよつば本人が、元ゴリゴリの根性論者で「うつ病は甘え」とか、ドヤ顔で言っていた時期があるからなんですね。
そんなことを言っていた人間がうつになって、秒殺で手のひらを返し「あ、これは甘えなんかじゃないッ!!」と、命の危険を感じながら懺悔したくなったという、大体そんな話になる予定です。
紹介が遅れました……。
今回は冒頭から飛ばしすぎなんだな。
すみません……。
この記事の目次
根性論者だった過去の自分を殴りたい
「うつ病は甘え」と今現在も本気で思っている人がいて、そしてもしこの記事を読んでいるのだとしたら、その人はきっとこう思っていることでしょう。
これですよね。
思っていることを当ててしまって、本当にすみません。
でも残念ながらその幻想はぶち壊されます。
ということで、根性論者の幻想をぶち壊すためにはまず、いかに「よつばの根性が足りていたか」を説明する必要があると思います。
正直なところ、これにはかなり自信があるので安心してください。
とはいえ今になってみると、自分の根性エピソードは人生の汚点みたいなものです。
本来であれば一切公開したくない恥ずかしい過去でしかないので、なんだか複雑な気持ちになっています。
タイムマシンがもし目の前にあったら、18歳くらいの頃のよつばを、とりあえず殴ります。
根性ってそもそも?
とりあえず、先に言わせてください。
現在のよつばは、根性があるかないかを文章で説明するという作業は最高に難しいという現実に直面しています。
ひとまず、根性の定義というか、なにをもってして「根性がある」とするのか、とりあえずこれだけは確認しておかないといけないと思いました。
個人的には結果も大切だと思っていますが、それ以上に「その人のキャパシティを超えたうえで、どれだけ頑張れたか」が重要なのではないかと考えています。
「甘え」という言葉が出てくるところからも、どれだけ「自分に甘えなかったか」ということが重要なのかがわかると思います。
ドラえもんの話の中で「帰ってきたドラえもん」という最高に泣ける話があるのですが、ご存知でしょうか?
普段のドラえもんの中では、主人公ののび太くんはジャイアンというガキ大将にいつもいじめられていて、手も足も出せずにコテンパンにやられてしまいます。
しかし、この「帰ってきたドラえもん」という話の中では一味違うんですよ。
のび太くんは「ジャイアンに勝てない」とわかっていながら、何回殴られようとも起き上がり、そして諦めることなくジャイアンに立ち向かっていきます。
最高にかっこいいですよね。
最終的にジャイアンは、根負けしてその場をあとにするのですが……。
あれ……?
根、負け……?
あっそうか、ジャイアンはのび太くんに根負けしているんですよ!!根負け!!
えー、とにかくですね。
ジャイアンはほとんど無傷で、のび太くんはボロボロですから、ケンカではジャイアンが圧倒していました。
それでも根性ではのび太くんが勝っているんです……!!
根性ってなんだよっていう部分については、これでなんとなく伝わったかと思います。
次から気をつけたいです。
よつばの根性エピソード
「よつばの根性エピソードなんて興味ないし見たくねえよ」という人は、高速で画面をスクロールしつつ、ついでに流し読みしながら要点だけはしっかり確認するという荒業でここをなんとか乗り切っていただけると大変助かります。
普通に読み飛ばしたらいいんだな。
限界+1回を全力で遂行してしまう
みなさんは筋トレをするとき、何回やるべきか考えたことはありますでしょうか?
よつばは「限界+1回やるのが効果的」という、嘘か本当かもわからない情報をどこからか仕入れ、とりあえずそれを鵜呑みにしていました。
しかし実際筋トレしようとしたときに、ふと疑問に思ったのです。
「+1回できるってことは、まだ限界ではないのでは……?」
よつばが実践した筋トレは、「腕立て伏せ」と聞いてまずみなさんが想像するであろう、一般的な腕立て伏せです。あれです。あれ。
特別な道具などは一切使わず、自分の体重だけを負荷にする、いわゆる「自重」の筋トレです。
負荷の軽い筋トレ方法ではあると思いますが、これをとにかく限界までやってやろうと思ったわけなんですね。
今思えば実に頭の悪い挑戦だったことがわかりますが、深く考えずに始めたので時間制限などは一切つけていませんでした。
そのため、「ああ、さすがにもう限界かッ!腕があがらない……ッ!」などと悶絶しているうちに、徐々にダメージが回復してしまって、なんとまた腕が上がるようになってしまうんですよ。
そして、「今度こそ限界か……ッ!」と悶絶しては少しだけ時間を置いて+1回腕立て伏せをするという、エンドレスデスマーチになってしまいました。
その結果、筋トレを終えたあとには、肘が90度以上に曲がらなくなるという大損傷を負ったのです……。
かろうじてパソコンのキーボードを叩ける腕の角度、というとわかりやすいでしょうか?
食事は箸でごはんをつまんだりすることはできましたが、腕を上げることができないので、頭を下げて口を箸の方に持っていくというような工夫をしなければ食べられませんでした。
人体の仕組みのことは詳しくないので、どうしてこのような大惨事になったのかわからりませんが、おそらく筋肉に限界突破させすぎた代償として、どこかの腱が損傷してしまったのだと思います。
ちなみに、この大ダメージが簡単に治るわけもなく、完治するまでに3ヶ月以上かかりました。
根性エピソードはもう1つくらい書かないとまぐれ根性とか言われそうですが、書きすぎるとこの記事の主旨がもはやよくわからない状態になると思ったので割愛します。なるべく恥を晒したくないです。
似たようなエピソードはいくらでもあるので、もしクレームなどをキャッチするようなことがあれば補足していく形にしようかと思っています。
「うつ病は甘え」と言っていた人間が、うつになった日
あとになって思えば、ですが、このときのよつばはとてもストレスフルな毎日を送っていました。
しかし、よつばが過剰なまでの根性論者であるがゆえに、自分の体に起こる様々なトラブルや精神の不安定ささえも「気のせい」「なんとかなる」というような考え方でほとんど無視してしまっていたのです。
「あほだったな」と苦笑いしながら書いています。
本人に自覚はほとんどありませんが、そもそも長い期間「抑うつ状態」と言われる状態になっていたんですね。
それでも、不眠でほとんど眠れなくなろうが、胃に耐え難い痛みがあろうが、根性論者としての本領を発揮させながら普通に仕事をしながら過ごしていました。
ここまでくるとただの命知らずです。
みなさんは、自分の体をしっかりと労ることだけは決して忘れないようにしてください。
負の感情を溜め込んでいたダムが決壊した
それは突然のことでした。
代わり映えもなく、いつものように、翌日の仕事に備えて眠ったある日のことです。
ふと、深夜に目が覚めると、なにか強烈な違和感を感じるのです。
「私は一体、なにをしていたのだろう……。」
そんな、心になにかが引っかかっているような、小さな違和感でした。
気になって眠れなくなり、よつばは少しずつ、自分のことを確かめるように記憶を手繰り寄せ始めました。
そして自分のおかしさを、愚かしさを、自覚してしまったんです。
気がつくと、涙がとめどなく溢れてきていました。
ぬぐってもぬぐっても、収まることのない大量の涙を前に、諦めてぬぐうことをやめました。
ぼたぼたと大粒の涙をこぼしながら、為す術もなく、ベットの上にうずくまるようにして泣き続けていました。
よつばは妻と同じベッドで寝ていたので、隣で眠っていた妻はこの異変に気がつき、起きてしまいました。
深夜に突然、大粒の涙をこぼしながら、なにも言わずに延々と泣き続ける夫を見て、妻がなにを思ったのかは、私にはわかりません。
妻はなにも口にすることはなく、私を抱き寄せて頭をなでてくれました。
それでも涙は止まることはなく、私はなにも言えず、妻はなにも言わず、おそらく2時間近く泣き続けていたと思います。
その日は泣き疲れて眠りにつきましたが、これは地獄の始まりにすぎませんでした。
なぜ涙が止まらなくなってしまったのか
当時から遡ること3~4年の期間は、よつばの人生にとって激動の期間でした。
- 地元である東京を離れ、京都に引っ越す。友人も誰もいない、方言も文化も違う慣れない土地での新生活が始まる。
- 就職活動の末、初就職。ほとんど熱意で就職が決まったようなものだったので、自分の経験や適正とはあまり関係のない職種となる。
- 就職先は規模の小さい職場で、歳の近い人でも10歳近く歳が離れていた。同期は1人もおらず、人間関係に苦戦する。
- 就職した月に、当時付き合っていた彼女(今の妻です。)と入籍する。引っ越しや就職は結婚するためにしたものだったため。夫となったことで責任感やプレッシャーが芽生える。
- 入籍をきっかけに、2人で生活するために引っ越しをする。まもなく結婚式や新婚旅行も実行。
- 就職から約1年が経ち、仕事に慣れてきたところで早くも異動を体験。また新入社員のような気持ちで2年目が始まる。
- 妻が妊娠する。夫としてだけではなく、今度は父親になるということで、さらに責任感とプレッシャーが芽生える。
- 自分の理想が高すぎるがゆえに、妊娠中の妻を世話しすぎる。仕事から帰ってきた時間が23時くらいでも、そこから買い出しに行き、妻が翌日に食べられるようなものを栄養にも配慮しつつ作ったりしていた。自分の趣味の時間も投げさり、体力の消耗などはほとんど考慮しなかった。
- 経済的に大きな余裕があったわけではないが、投資的な面からみても意味があると考え、マイホームを購入する。プレッシャーなどの自覚は全くなかったが、契約時に手が震えてサインができないという体験をする。10分ほど待ってもらってから無事にサインする。当然引っ越しもしたが、妻は妊娠しているため、自分にできることはとことんやった。
- 仕事は3年目に入ったが、今度は職場のトップが入れ替わったことにより、またも仕事内容が激変してしまう。今までやってきたことを全否定されるような状態になり、3年目になっても1から勉強し直すこととなった。1年目・2年目よりも勉強しなくてはならないことが多く、苦戦を強いられる。
- 妻が切迫早産で入院する。頻繁に病院に通い、仕事とお見舞いの生活になる。不安感でどうにかなりそうだったが、一番不安なのは妻のはずなので一切表には出さないことを決意する。仕事の苦戦も気軽に伝えられる状況ではないと判断し、とにかくネガティブな感情を封じ込めようとし始める。
- 無事に娘が産まれる。嬉しい反面、父としてのプレッシャーが激増する。
- 娘が産まれるのを待っていたかのように翌日、入れ替わりで祖父が他界。やむを得ず妻と娘を置いて、東京での葬儀に参列。
箇条書きにすると大体このような状況でした。
よつばは、めまぐるしい環境変化に適応できず、忙殺される日々を生きていたのです。
仕事はどこまでもわからないことだらけで、毎日時間に追われるようになり、いくら残業しても足りない状況にまで追い込まれていました。
とはいえ、残業ばかりでは家事や育児に参加できません。
なのでなるべく残業を避けて、仕事にきりをつけたらすぐに家に帰るようにしていました。
よつばは、仕事よりもなによりも、家庭を優先したかったのです。
愛すべき家族に代わりはいないので、絶対に家族を優先すべきだと考えていたからです。
それなのに、日に日に妻との会話は言い争いのようなものが増え、ときには怒鳴り散らすようなことも増えていました。
最初は積極的に関わっていた育児も、どんどん足が遠のいていきました。
夫や父としての理想や、自分のプライドも薄れ、どんどん自分が自分ではなくなっていたような気がします。
そんな生活が続いていく中で、ついには帰宅したときの「ただいま」さえ言わなくなりました。
自分に関わる全てのことがわずらわしくなって、妻や娘の存在さえも、軽く無視するようになっていたのです。
仕事の荷物をそこらへんに放り投げ、着替えることもせずにソファーに腰掛けると、適当にテレビをつける。
そんな生活がルーティーンのようになっていました。
くすりとも笑えないバラティ番組が、ちかちかとディスプレイを光らせているだけのに、それをただただ呆然と見つめていました。
よつばがもし「急変」してこのような状態になったのであれば、妻や職場の誰か、もしくは自分自身が「おかしい」と気がつけたかもしれません。
しかし、残念なことに、4年近い時間をかけてゆっくりとここまで変化したため、本人を含め、誰一人として「よつばがおかしい」とは気がつきませんでした。
今でも、とても恐ろしいことだと思います。
「そんなばかな」と思われた方もいるかもしれませんが、本当に誰も気がついていなかったのが現実です。
つまらないことを書いて本当にすみませんでした。
話を戻します。
よつば自身も、辻褄の合わない行動をしていることにはうっすらと気がついていながらも、思考に「もや」がかかっているかのように、それ以上考えることができなくなってしまっていたんです。
でもあるとき、気がついてしまったんですね。
私は今、なんのために生きているのだろうか?
心から笑うこともなくなり、家族の笑顔を見ることもなく、仕事もなにをしていいかわからなくなってしまっている。
こんな人生に一体どんな価値があるのだろうか?
私は妻を幸せにするためにここにいるはずで、自分自身も幸せになるためにここにいるはずでした。
娘や、妻の両親、自分の両親、そんなみんなと笑い合うためにここにいるはずでした。
仕事でも頑張って、将来は職場を背負って立つ存在になると思っていたはずでした。
でも現実はその全て放り出し、呆然と意味のないディスプレイを眺めたりすることに時間を費やすようになっていたのです。
私はいつからおかしくなってしまったのだろうか。
私はなにを間違えてしまったのだろうか。
そのようなことがふと、あの日の深夜によつばの脳内を駆け巡り、今まで無意識のうちに溜め込んでしまった負の感情のダムが決壊して涙が止まらなくなってしまったのです。
泣きつかれて眠ったその後
目が覚めると全身がすっきりとしていて、なんとも晴れやで素晴らしい朝が、小鳥のさえずりとともに訪れるわけもなく、
そこには地獄が広がっていました。
- 頭痛
- 腹痛
- 吐き気
- 立ち上がれないほどの倦怠感
- 視界がなぜかぼやける
- 悪寒
- 発汗
- 発熱
- やたらと悲しくなるなど情緒不安定
- 不安感が強い
- 仕事などに対する強い恐怖心
大体という感じですが、目覚めとともにこのような症状が一気によつばを襲い、よつばは目覚めから1秒も経たないうちに直感で「あ、終わったな」と確信しました。
この日は仕事がありましたが、さすがの根性論者よつばも仕事を休みました。
なんといってもまず物理的に立ち上がることすら困難なので、いくらなんでも仕事ができるわけがないと判断したからです。
控えめに言ってインフルエンザの7倍くらいしんどかったので、これで出勤できる人がいるのだとすれば、その人はもう人ではなく、「人に似たなにか」だと思います。
甘えとかどうとか以前に、うつ状態で仕事に行くなどということは不可能に近いと思いました。
「交通事故で両足を複雑骨折した翌日に仕事休むやつは甘え」とか言う人がいますか?
「うつ病は甘え」という言葉はそれと同じ次元、もしくはそれ以上に荒唐無稽な発言なんですよ。
さて、多くの方はここまで読んでいただければほぼほぼこの意見に納得してもらえると思います。
ただ、根性論をこじらせた人がそんな簡単に納得しないことくらい、よつばにはわかります。
手に取るようにわかります。
なのでさらに追い打ちをかけていきますので、もう少しだけお付き合いください。
残念ながらまだ根性を信じている
見出しの通りなのですが、残念ながらよつばはこの期に及んで、このときはまだ根性を信じていました。本当にしぶといです。
地獄を味わった当日こそ仕事の休みをとったものの、なんと翌日には出勤を試みるという脳みそ根性っぷりだったのです。
聡明なみなさんであれば書くまでもなく結末が想像できそうですが、実際にこんな無茶をしたらどうなるのかだけは書いていきたいと思います。
なぜ出勤しようなどと思ったのか
まずはここから疑問に思う方がいると思うので書きます。
今のよつばから言わせれば、こんな状態になってまで仕事をするなんて最高にクレイジーです。
しかしですね、これは過去のよつばの話なのです。
根性論を振りかざして「うつ病は甘え」などとわけのわからないことを言っていたよつばです。
そんな人間が、うつに屈して仕事を休み続けるなんてことはあってはならない……と思っているんですよ。
なぜなら、その状態こそ、「うつ病に甘えてる状態」になってしまうからです。
「甘えを指摘する人間が甘えるわけにはいかない」という、脳根の論理です。
当時のよつばは、「しんどいことはしんどいかもしれないけれど、仕事に行くか行かないかを決めるのは結局自分の判断。足がなくなったわけじゃあるまいし仕事に行かないなんて甘え。行こうと思えば絶対行ける。だから甘え」というような思考回路をもつ、痛い人間でした。
初日はほとんど体が動かなかったので考えるまでもなかったのですが、2日目ともなると無理(※)をすればなんとか体は動かせました。
(※41℃の発熱なのに子どものようにはしゃぎ倒すくらいの無茶をすれば、です。「死ぬかもしれない」くらいの感覚は当然あるので、「なんだやっぱ動けるじゃん」と簡単に考えるのはやめてください。そして絶対にマネしないでください。)
内心どこかで「体動くとは言え仕事はさすがに無理だろ……」とはこの時点でも思っていましたが、実際に職場にたどり着けば案外働けたりするのではないかという、一縷の望みに掛けて出勤することを決意したのです。
半日じゃなくて1日休め、いやとりあえず3ヶ月は休め、と過去の自分に助言したいです。
無理やり出勤してどうなったのか
人が怖い、視線が怖い
まず、外に出て、街を歩く人々に恐怖しました。
なぜこんなに人がいるのか、なぜだかおぞましく思ってしまったのです。
電車通勤だったのですが、駅にはもっとたくさんの人がいます。
自分がみんなに見られているような気がして、視線が刺さるように感じました。
なんだか世界中の人にあざ笑われているような気がして、どんどん悪寒・発汗・吐き気などの症状を中心に、体調不良が悪化していきました。
出勤早々に後悔することになったわけです。
とりあえず人と目が合ったら死ぬくらいの感覚でしたが、引き返す勇気すら失っているほど判断力のない状態だったので、床をひたすら見つめて歩くことで、ぎりぎり発狂まではしませんでした。
これは本当に恐ろしいことだと思います。
エスカレーターにも恐怖する
理由は全くわからないのですが、駅のホームにエスカレーターで下るとき、「どっ」と涙が込み上げてくるのがわかりました。
そこで泣きじゃくるわけにはいかないので、こらえるために唇を思いっきり噛みました。
普通に出血するくらいの強さで噛んで、震えながらエスカレーターに乗っていましたね。
今から殺されるのではないかというくらいの恐怖心が心を支配していました。
理由は本当にわかりません。すみません。
執筆時点で、この経験から3年以上の時間が経っていますが、このときの感覚を昨日のことのように思い出すことができます。
というのも、軽いトラウマのように、今でもエスカレーターを見るとこのときのことを思い出して少し怖くなるからです。
それくらい強い恐怖を感じたということの裏付けにもなるかと思います。
時間感覚、記憶を失う
さて、まだ地獄の出勤は電車にすら乗れていませんが、よつばはちゃんと自宅と職場を往復しています。
ただ、これ以降のことはあまり鮮明に書けない部分が出てきてしまうんですね。
というのも、エスカレーターで駅のホームに降りてから、どうも時間感覚があやふやになってしまっているんです。
よつばの通勤ルートは、いくつかの駅をまたいで電車を乗り換え、そして職場の最寄り駅に向かいます。
この日もいつものように電車に揺られ、一駅進んだところで電車が止まったと思ったのでふと顔を上げたのですが、あろうことか電車内の人口密度が全然違っていました。
というより、乗っている電車すら変わっていたんです。
不可解なことですが、既にいくつかの駅をまたいで電車の乗り換えを済ませており、職場付近の駅まで電車が進んでいたのです。
泥酔して記憶がなくても自宅に帰って来られるように、このときも記憶が飛んでいながら通勤だけはしっかりとしていた……ということなのかもしれません。
という感じでジョジョの画像を貼り付けたくなりますが、著作権的な意味で自重しておきます。
このような「ザ・ワールド」ではなく、奇妙な時間感覚の中、気がつけば職場の最寄り駅に着いており、次に気がついたときには改札を出ていて、次に気がついたときには徒歩で職場に向かっているという、飛び飛びの記憶と恐怖に包まれながら、それでもよつばは職場へと向かって歩きました。
まるで、意思をもたないゾンビにでもなってしまったかのような感覚でしたね。
そしてまたすぐに、説明しがたい状況に直面してしまいます。
離人感を体験する
今度は自分が自分を俯瞰して見ているような、まるで映画を見ているような、なんとも言い表せない奇妙な感覚に包まれました。
少し具体的に書くと、景色がセピア調に見えて、そして空間が歪んでいるようにも見えました。
そして自分が職場へと歩いていく姿を、自分で見ているんです。
これが「離人感」に当てはまるのか、はっきりしたことはちょっとわかりませんが、そのような感覚がよつばを襲っていたのは事実です。
文章だけ見ていると大したことがなさそうに感じますが、この「非現実感」は人を絶望させるのには十分で、耐え難い恐怖を体験させられました。
パニックを起こさなかったことが奇跡に近いくらいです。
人通りが少なかったので、泣きながら歩いていたかもしれませんが、いまいちはっきりと思い出せません。
このようなことに直面したら、奇声を発して暴れ回ってもなんら不思議ではないくらいだと思います。
そうならなかったのは、それをする気力も体力も既になくなっていたからだと、今になってみるとわかります。
仕事は全くできない
さて、そんな異常な感覚が次々と押し寄せる中、よつばはなんとか職場に辿り着きました。
職員から声をかけられたような気がしますが、なにを言われたのか記憶に残っていません。
席に着き、しばらくすると電話が鳴りました。
電話を取るのはよつばの仕事でもあったのですが、とにかくその電話の着信音が怖くてたまらなくなり、また涙が込み上げてくるのです。
口を開いたら嗚咽とともに涙が止まらなくなるとわかっていたので、電話を取ることができませんでした。
よつばが電話を取ることができずに固まっていると、他の職員が電話を取ってくれたので助かりました。
しかし、恐怖心からか安心感からか、電話に出るまでもなく、涙がとめどなく溢れてとまらなくなってしまいました。
そんな姿を職場で晒すわけにもいかないと思い、涙を流しながらトイレに駆け込んで、そこで号泣しました。
泣いていたことがばれてしまったかはわかりませんが、少なくとも突然トイレに駆け込んだよつばの姿は異質なものだったに違いありません。
ひとしきり泣いたあと顔を洗って席に戻ったのですが、まともな判断力があればとっくに帰るところだと思います。
これは本当に厄介ですよ。
とりあえず電話対応はできそうにないことを察したよつばは、簡単な仕事だけでもこなそうと思いました。
自分のデスクに置かれた書類の中から、閲覧してハンコを押し、別の職員のデスクに置くだけで済む、簡単な書類仕事に目をつけました。
書類の内容は全く頭に入ってこないわけですが、とにかくハンコさえ押せばよいと割り切りハンコを押しました。
あとはそれを他の職員のデスクに置くだけでこの仕事は片付くのですが、そこにも問題が発生しました。
他の職員のデスクに書類を置くために立ち上がったよつばは、2,3歩歩き、「自分はなぜ立っているのか……?」と悩んでしまったんです。
この一瞬で、やろうとしたことを忘れてしまっていました。
しかも手には書類を持っているので見れば一目瞭然なのですが、その書類をじっと眺めて、1分くらい立ち尽くしていたかもしれません。
もっとも、よつばにとっては、5分にも10分にも1時間にも感じるような、長い思考だったような感覚がありました。
ようやくやるべきことを思い出したときには、「私はこんな簡単なことさえできなくなってしまったのか」という大きな絶望感に苛まれ、また涙が込み上げてくるのです。
これを受けてさすがに「仕事は無理かもしれない」とぼんやり思うようになったものの、自分から「帰ります」ということが言い出せませんでした。
しかし、よつばの心情を知ってか知らずか、先輩が「今日は帰った方がいいんじゃないか」と声をかけてくれたことで早退することになったのです。
早退するよう助言があったことは不幸中の幸いでしたね。
確か2時間くらいは職場にいたはずなのですが、よつばはここに書いたことくらいしか、いまだに思い出すことができません。
おそらく周りから見ても働ける状態には見えず、見かねて声をかけてもらった……というような状態だったのでしょう。
自分のことなのに、推測でしか語れませんが、ある意味そのことが、うつの恐ろしさを代弁してくれていると感じます。
帰り道はもっと悲惨なものだった
体力的にも精神的にも疲弊したことが影響したのか、帰り道はひどいものでした。
およそここまでに書いたことのオールスターがよつばを襲います。
それが夕焼けだったのか、ねじまがった景色だったのかはわかりませんが、セピアがかったオレンジ色の景色を今でも思い出すことができます。
職場からほど近いところにある一本道で、自分で自分を見下ろしていました。
オレンジ色の風景の中で、よつばは亡霊のように歩いていましたが、ふと気を抜いた瞬間に、いつの間にか10mくらい先を歩いているのです。
視界は安定することなく、まるで回っているかのようでした。
時間も空間も曖昧で、自分さえも不確かなものとなり、そのときのよつばにとってその光景は、だんだんと「死」の象徴のように感じるようになっていったのです。
「私はここで死ぬのだ」と、そう思いました。
家に帰っても私にできることはなにもないということは、もうわかっていましたから。
うつは人を殺す
仕事からの帰りすがら、時間も感覚もあやふやになったよつばは、死ぬことばかり呆然と考えていたような気がします。
自分を苦しめるこの状況から逃れるための、もっとも手っ取り早い手段だと思えてならなかったのです。
それほどまでに耐え難い苦しみが、そこにはありました。
自ら命を絶つことはよくないことだというのはわかっていましたが、判断や決断というものがあまりにも不確かなものになっているため、誘われるがままにどこへでもいきそうでした。
もしこのとき誰かに「うつ病は甘え」と言われていたら、「あぁそうか……」となにかに納得して、命を絶つことを選んだかもしれません。
家で帰りを待つ家族がいなかったら、友人がいなかったら、躊躇わずに、今すぐ楽になる手段を選んだかもしれません。
結局のところよつばは、なにも決断することができず、気がついたら家まで帰り着いてしまいました。
家に入って妻に「だめかもしれない」「うつ病かもしれない」そのようなことをぼやき、そのときからよつばは「うつ」という悪魔のような存在と向き合うことになったのでした。
うつ病は甘えではありません!まとめ
結論ですが、「うつ病は甘え」とか言っている人は、本当の地獄を知らないだけなんですよ!
さあ、タイトルに戻ってきましたよ!
よつばはこのようにして、うつをきっかけに仕事を休むことになりましたが、それから3年以上経った執筆時点においても仕事を休み続けています。
さらに言うと、「消えたい」「終わりたい」「死にたい」という絶望的な感覚が抜けるまでに1年半以上の年月がかかっています。
その間は、語り尽くせないほど様々なことがありました。
病院を渡り歩いたり、入院したこともありました。
うつは人生に重くのしかかってくるような病で、甘えとかそんな言葉で片付けられるようなものではないんですよ。
さあ、ここまで全てを読んで、まだ異論のある人はいるのでしょうか!?
納得がいかないならよつばの根性エピソードを加筆するので勘弁してください……。
うつも様々、でも誰も甘えなんかじゃない
うつの症状は人によって様々なものです。
説明を尽くしたよつばの件はともかく、それより症状が軽く見える人は甘えなのでは?と、そんな誤解をされるのは不本意なので、これも書いておきます。
うつは症状が軽く見える人ほど誤解されがちですが、本質的なところは誰しも同じだと思っています。
人によって能力も性格も違いますから、うつの発症するタイミングや症状が変わってくるのは当たり前のことです。
うつにおける最悪の結末は「自殺」です。
そしてうつ状態のとき、人は「自殺」にとても結びつきやすい思考回路になっています。
非常に情緒不安定なため、なにごとにも打たれ弱く、正常な判断や決断ができないため、自暴自棄になりやすいのです。
このような状態の人に「うつ病は甘え」などの心ない言葉が突き刺されば、最悪の場合、命を奪うことになります。
よつばのように、体力が限界まで奪われているような状態のうつであれば、「自殺する体力がない」とも言い換えることができます。
そのため、周囲の人が対策をする猶予などがあるとも考えられるのです。
一方で、「軽症」と誤解され、比較的体の動く状態でうつとなった人は、「自殺をするだけの体力がある」とも言い換えることができます。
このように考えてみると、場合によっては一見「軽症」に見えるうつの人の方が危険なところにいるとも言えるわけです。
なのでよつばとしては、うつに「軽症」とか「重症」とか、そんなものはないと考えています。
あの人のうつはかわいそうだけど、あの人のうつは甘え……そんな話もないのです。
自分の浅い知識、少ない人生経験で適当な判断をし、他人を誤解するのは悲しいことです。
なにより自分が、自分の愛する人が、うつになったときのことを考えたことはありますか?
また、そのような人たちが「甘えている」などと言われるかもしれないと想像したことがありますか?
どうか、よつばのように間違えないでください。
最後に
うつに対する誤解が、1つでも解けたら。
そして1人でも多くの、うつを体験した人の勇気になったらいいなと、そう思って書きました。
伝えたいことがちゃんと伝えられたか、不安もありますが、精一杯書きました。
長くなってしまいましたが、最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。