「よつば」です。
「タイトル見間違えたかな?」と思った方もいるかもしれませんが、間違ってません!
通常であれば「カサンドラの妻の方」が、アスペルガー症候群(ASD)の夫に共感してもらえずに泣き崩れるところですよね。
まさかの逆転現象が起こったことがあるので、書いていきたいと思います……。
蚊取り線香じゃなくて、ぶたなんだな。
この記事の目次
はじめに、カサンドラ症候群とは
アスペルガー症候群(ASD)の妻、もしくは夫が、上手くコミュニティケーションをとれず、それを原因として精神的・身体的になんらかの症状を抱えている状態を示す言葉です。
簡単に例えるなら、「アスペルガー症候群の配偶者が原因でかかってしまったうつ状態」のようなものです。
アスペルガー症候群は、女性よりも男性の方が高い割合で診断されているので、「カサンドラ症候群」という言葉は「妻」に対して使われることが必然的に多くなります。
ですが、カサンドラ症候群に性別は関係なく、アスペルガー症候群の妻によって、夫がカサンドラ症候群に陥るということもあります。
共感なんてくだらないと思っていた
タイトルとはうって変わってという感じになってしまいますが、よつばは「共感なんてくだらない」と思っていました。
というか、正確には「理解できない」です。
妻のオチのない話に対して「は?」「で?」と、口にしないまでも、思ってしまうほどでした。
悪意はないんです。
えー、このように、よつばは最低な夫です。
妻は本当にしんどかったと思う
妻は苦い想いをたくさん経験していると思います。
よつばはうつを経験してからというもの、仕事は休職し、家事も育児もほとんどできず、完全な役立たずでした。
妻はワンオペで家事育児を強いられるという苦行の中、夫とのコミュニケーションまで四苦八苦していたに違いありません。
うつを経験しているよつばから見ても、「妻はほとんどうつ状態と変わらないのでは」と思ったこともあるほどで、カサンドラ症候群という言葉に行き着くのにもほとんど時間はかかりませんでした。
完全にみっともない言い訳ですが、こうして記事を書いてる最中も、謎の頭痛と吐き気と目眩に襲われながらだったりします。
ブログを書くというのは、よつばにとっては限界ぎりぎりの活動なのです……。
というわけで、よつばは日常生活では、まだまだなんの役にも立たないんです……。
「それならせめて、もっと妻に寄り添って共感しろよ!」と、最もな意見が聞こえそうですが、それが簡単にできたら「カサンドラ症候群」という言葉は生まれなかったのではないかと思います!(開き直り)
カサンドラの妻のみなみなさまは、心の中できっと一度は夫に向かって「このわからず屋が!!」と叫んだことでしょう。
共感してほしいと思ったことはほとんどなかった
「共感なんてくだらない」というような考え方があったこともありますが、そもそも雑談とかは苦手ですし、オチのない話とかもあまりしません。
だから「共感してほしい」という理由で喋ったことは、多分ほとんどなかったんですね。
書いていながらですが、いかにもカサンドラの妻を苦しめそうな思考の持ち主です。
でも共感してほしくて泣いたという現実
ことの経緯
妻の方ではなく、なぜよつばが泣くようなことになってしまったのか。
それはほんの何気ない会話から始まりました。
よつばは、妻に話したいことがあって、その「前フリ」のようなところを話し始めました。
でね――。
と、このようなすべり出しだったと記憶しています。
すると妻はこう言いました。
よつばにとって、この部分は全く重要ではなく、適当に聞き流してもらえたらそれで解決だったのです。
しかし否定されると話が変わります。
本題へ進めませんから、こちらも反論せざるを得なくなってしまいます。
このように、納得してもらおうと話を修正します。
正直内容はどうでもよく、特に否定されるようなことは話していませんし、一般的な人なら「そうだよね」と理解してくれるような、ごくありふれた発言でした。
しかし妻は違います。
本題にいかれへんやんけ……。
妻が理系脳だった
妻は普段とても素敵な人なんです。
こんな境遇でもよつばを見捨てることもなく、常に身を粉にして働いてくれています。
しかしですね……。
妻はとても賢いのです。
完全な理系脳で、よつばほどではないものの、女性にしては論理的な発言に寄っています。
決して悪口を言うつもりはありませんが、すっごいバカまじめなところがあるんですよ。
(ちょっと天然さんなんですよね、と書けばよかったなと、あとから思いました)
なので、「それ違うんじゃない?」と少しでも思ったことは、全力で否定しにかかってくるような部分があるんですね。
まずはキレた
結局この「どうでもいい前フリ」のラリーは、「ああ言えばこう言う」と言う感じで、何ラリー繰り返そうと妻に反論されてしまいました。
妻はいたって普通の表情で、普通に会話しているという風体です。
しかし、よつばはいつまで経っても本題が話せないもどかしさからイライラし始めました。
ここから先は「いかにもカサンドラの妻を苦しめそうなアスペルガー症候群の夫そのもの」という感じの仕上がりになるのですが、結末はちょっと想像しているものとは違うと思うので、ぜひ最後まで読んでほしいです。
このような何気ない妻の否定は、日常からちょこちょこありました。
私はさらっと諦めることもありますが、なぜかこの日は、自分の発言を否定されることにものすごい嫌悪感があり、いつまでも反論してしまったのです。
何度言葉を変え、ニュアンスを変え、理解してもらおうと努力されても否定されてしまいます。
さっきから否定ばっかしやがって!
なんなんだよ!!
DVとかモラハラとか、そんな言葉が囁かれそうですが、完全に否定はできません……。
ときたま半狂乱になって、このように怒ってしまうことがあるのは事実です。
妻は、よつばが怒り出したことに、心底驚いたような表情を見せていました。
そして泣き崩れた
当時のよつばは、既にASDやADHDという発達障害を持つ人が、普通の人の感性と違うという事実を受け止めています。
感情把握の苦手なASDと、感情制御の苦手なADHDの特性が合わさって、ときたまものすごい怒りが表面に出てくることがありますが、それが発達障害によるものであることも理解していました。
(ちなみにASDとADHDについては、詳しく別の記事で触れているので、よろしければそちらをご参考なさってください)
そのため、キレてしまうことそのものを失くすというのはかなり難しいのですが、よつばは「キレながらも、軌道修正する」という技術をこのとき身につけていました。
そして、キレながらも頭をフル回転させ、妻に対して色々なことを叫びました。
そんなに重要な話でもないのに!
何度言い直しても否定してくる!
そんなに全力で否定してくる必要あるのか!?
と、要約するとこのようなことを言っていたかと思います。
キレてしまったとき、自分でできることはまず「なぜ自分が怒っているのか」をきちんと把握することです。
ASDの人は、ここでよくわかっていないまま怒ってしまうということが多く、よつばはまさにそのタイプの人間だからです。
キレて叫びながら、いみじくも「重要な話じゃない」「聞き流してくれるだけよかった」「同じ話を何回も繰り返した」というようなことを言っていました。
発言しながら、「重要じゃないなら、なぜこだわったのだろう」「聞き流してもらったら、なにが違ったのだろう」「なぜ同じ話に固執していたのだろう」などと考えていくうちに、一つの答えに辿り着きました。
そうです。
ただ、共感してほしかっただけ、だったのです。
なのでそれっぽい画像にしました。
「エンダァー!」はさておき、「共感してほしかっただけだった」という現実を知ったよつばは、悲しみや切なさや苦しさを一身に感じて、その場に膝をついて泣き崩れました。
妻から見れば、よつばがいきなりキレだしたと思ったら、今度は泣き崩れるわけですから、それは混乱したことでしょう。
アスペルガー症候群(ASD)の人は共感性がないわけじゃない
アスペルガー症候群(ASD)の人は「共感性が乏しい」としばしば言われてしまいますが、それは少し違うと思います。
共感性はあるのですが、「それを自覚することがとても難しい」というのが現実です。
よつばはこの事件が発生するまでは、「共感してほしい」と思った(自覚した)ことはほとんど一度もありませんでした。
「ASD」と「共感」って、遠い存在のように言われていますけど、実際のところどうなんでしょう。
ここでASDの方に質問です!
(ADHDやLDの併発は問いません)『自分の話に共感してほしいと思ったことありますか?』
気になっているので、多くの回答があると嬉しいです!ご協力お願いします!
— よつば@ASD/ADHD/双極 (@Yotsuba_ddsit) August 19, 2019
周囲のASDの人はどうなのだろうと思ってTwitterでアンケートを取ってみました。
すると意外にも、「共感してほしいとよく思う」という項目が、一番得票率が高いんです。
(Twitterなので、女性比率が少し高めであるという影響はあるかもしれませんが)
このことからも、ASDの人に共感性がないとは言えないような気がしてきます。
泣き崩れて気づいたこと
共感には無関心だったよつばが、共感してほしくて泣き崩れて、気づいたことがります。
それは、「共感してもらえない」というのはめちゃくちゃ辛いということです。
なので、「共感してもらえない」ということの深刻さに今まではまっっったく気がついていなかったのですが、「ああ、これは一大事だな」ということが理解できるようになりました。
しかし、こんな経験をした今となっても「共感してほしい!」と強く思うことはありませんし、基本的には理解できていません。
経験を積み重ねて、ゆっくりと「共感を知る」という作業が必要なのでしょう。
とはいえ、「共感なんてくだらない」とは思わなくなりましたし、深刻さを知ったというのは大きな出来事でした。
共感してもらえないと言うと少し軽く聞こえるのですが、あのときの気持ちはまるで「自分自身の存在そのものを否定」されているような気分でした。
本当に、辛いことなんですよね。
カサンドラ妻・ASD夫、まとめ
- カサンドラの妻はめちゃくちゃ辛い
- でも夫にも心はある
- ときには夫が泣き崩れる
- 夫もちゃんと人間です
なんか変なまとめ方をしてしまいましたが、大体このようなことです。
まるで「カサンドラ症候群は大変だけど、アスペルガー症候群当事者のことも見て!」というような主張に見えてしまいますが、そういう意図はありません。
むしろ、「カサンドラ症候群の人の救いになるのではないか」と思ってこの記事を書きました。
アスペルガー症候群の人にも、ちゃんと共感性をあるということを知ってほしかったのです。
自分でも理解の難しい部分ではありますが、ときには共感を求めて泣くこともあるのです。
カサンドラ症候群の人は、日常から苦しい想いをたくさんしていると思います。
「自分はまったく理解されないんだ……」と、諦めてしまっている人もいるかもしれません。
でも、なにをきっかけに変わるかはわかりません。
諦めず、パートナーとの幸せな未来を模索してほしいのです!
よつばはまだまだ「共感」については素人ですが、それでも最初の一歩を踏み出すことはできたと思っています。
それでは、誰かの参考になることを祈りつつ、この記事を終わります!
さいごまでお読みいただき、ありがとうございました!